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もう3月が終ってしまう。博士課程も3年になってしまう。 博士課程3年になると花見にも行けないらしい。
風邪なのか、花粉症なのか、今一つはっきりしないが、 花粉症ではないことを祈る!
喉が痛い。だるい。気分悪い。う゛〜。
今朝、農学部の正門を入ったら、 車の出口ゲートの手前と建物の入り口のところに、 白いチョークで人の形が描いてあった。 頭の部分に番号が書いてあり、 ゲート前に一人、建物前に三人分くらいあった。 建物前の一人は頭のそばに「眼鏡」と書いた小さな閉曲線もあった。 テレビで見る現場検証の後のようだった。 何かあったのかな。
飲み会(学部の頃入っていたサークルの卒コン)に行った。
毎年思うけど、
大学一年生はすごく子供(というか高校生)に見える人が多いが、一方で
年の差をあまり感じない人も少しいる。
それが、卒業する四年生はみんなそれなりになっている。
大学四年間は、大きく人を変えると思った。
大学を卒業してからの変化も大きいが、
“高校を卒業した時と大学を卒業した時の差”ほどには
大きくない場合が多いと思った。
自分は変化しているのだろうか。
生協の書籍部に行ったら、mindstormの R2D2がいた。 子供ができたらマインドストームをあげよう。(そして僕が遊ぼう)
後輩に家賃とか生活の話をしたら、 「水内さんはいつも裕福そうに見えましたが、 そういうのもあるんですね。」って言われた。 お金がなくていつもひーひー言ってるのに、 そうは見えないのかな・・・。
昨日の飲みでわかった事だが、 このページは意外と人に見られているようだ。 何せすごく長いテキストなので サーチエンジンで引っ掛かるキーワードが多いせいだと思っていた。
贅沢を言わなければ、こだわりを持たなければ、 人生を楽に生きる方法はいくらでもある。(あまり無い人もいるだろうけど) それでも、 贅沢を言い、こだわりを持って生きてゆく(人が多い)のはなぜだろうか。
ありふれた言葉の中に真実はある。ありふれた・よく耳にする言葉で、 その中にあるメッセージを見過ごしているような言葉はたくさんある。 一聞して、または一見して、流れていきそうな言葉に、景色に、 強い影響を受ける人もいるのに、それを流してしまう人は 強い影響を受けた人が得たものを得そこなっているかもね。
青山に住むのってどうなんだろう・・・。
青山のホンダのショールームの向かい。
絵画館前のイチョウ並木の横。神宮球場の裏。
青山一丁目の駅から徒歩5分。
赤坂御所のとなり。
とりあえず、通うのはちょっと楽になるかな。
日々の買い物がめんどくさいかな。
そう言えば、昔書いた英語の論文が、webで読めるようになっていた。 ( http://www.elsevier.nl/locate/robot/) しかも、abstractだけでなく、full paperが読める。 もちろん著者名やタイトルやキーワードでサーチできる。 便利になったものだが、 あれでは論文雑誌の売り上げが足りなくなってしまうのではないだろうか。 とか、(よけいな?)心配もしてしまう。
ビデオ環境・テーブル用ガスコンロ・マガジンラックは入手。 マガジンラックは新聞を入れようと思っていたのだが、 入手したのはその目的にはイマイチ向かないもので、 もう少し探してみるかな。 でも、新聞はとっておく必要ないかな・・・。
すっかりただの日記になってしまっているな・・・。
生活は少し落ち着いてきたが、
研究室でのいろいろな締切りが過ぎてゆく。まずい。
僕はすぐ調子にのる。
あまり歓迎していないが、僕の習性であり、
気をつけてはいるが、ハッと気が付くと
「やべ、調子に乗りすぎた」と思うことがよくある。
最近は、早めに気付く事が多くなり、
次の日になってから「○○はまずかったなあ・・・」という事は
減ったが。
昨日の飲みでは、一瞬「調子に乗り過ぎかな?」と感じた時はあったが、
次の日になってウンヌンは無かった。
僕は、
怒り・悲しみなどのネガティブな感情は比較的長続きしない方だと思う。
調子に乗りやすいか は、人によって違うと思うけれど、
僕の場合はそれが“調子に乗りやすさ”に影響している気はする。
調子に乗っていて、誰かにたしなめられるというのは、
『お前は、そんなに明るい状態でいいのか?』
と思われるという事かもね。
実家から離れて今日で五日目である。
通勤通学時間は半分になったが、
生活面でしなければならないことが増えて、
研究時間的には減ったかも知れない。
しかし、毎朝同じ時間に行くという規則正しい生活(今のところ)なので、
今までより効率がいい気がする。
まだ、自分の家という感覚が染み付いておらず、
『実家では・・・』というところを、つい『うちでは・・・』と
言ってしまう。
それでも、徐々に徐々に、定常状態になりつつある。
お金の使い方が、どの程度贅沢してよいのかよくわからない。
今欲しいものは、
ビデオ再生環境・くつろぎ環境(ソファ)・書類収納具(引き出し)・
テーブル用ガスコンロ・自転車・マガジンラック・カーテン(交換)・・・。
生鮮食品などの相場がだいぶ身についてきた。
スーパーに行けば、値札を見て、今日のレタスは安いかどうかがわかる。
昨日は初めてのお客さんが来た。お客さんが来るというのは
嬉しいものだ と思った。
あとは、近所の散策をしたいものだ。
ふー。
状況はわかってるつもりだけど、打開する道が見えない。 まず一歩、そしてもう一歩と、進まないといけないのだろうけど、 その先(主にうまくいかない未来)ばかり考えてしまう。 難しいなあ。能力の問題だとしても、それを前提条件として、 解決(というか前進)できる方法を取るしかない。 ここ数ヶ月でメドをつけないとイカン。
という状況で、その後のことを考えるのは『?』だと、 ある人に言われたが、果たしてそうだろうか。 どういう形にせよカタがついた時に、次の道が見えてないというのは あまりよろしくないのではないだろうか。 そのためには、たとえこういう状況であっても、 その先も考えて、それなりのアクションをしていかなければ ならないのではないだろうか。
それはさておき、今週末は、結婚式である。 理屈じゃなくぴったりの相手だ。 どんな逆境にも耐えて気持ちはハッピーな人生が送れそうだ。幸せです。
フランスに行った時、 「赤信号はよく見て渡りましょう」という感じだった。 子供を連れた親も子供と一緒に赤信号を渡っていた。 あれは、文化なのか? 全て自己責任と言っているようで、僕は嫌いではない。
先日、すいている電車で親子連れが乗ってきた。両親と息子・娘らしい。 僕は3人掛けの席に座っていて、隣に母親と息子が座り、 向かいの座席はシルバーシートだったが、父親が娘を座らせ自分も座った。 混んできてもそのままだった。
子供にシルバーシートとは何かを教えるのは誰なのだろうか。
最近、『モラルの崩壊』というキーワードが心に響く機会があり、
そんな矢先の出来事だった。
電車の中で携帯電話を使うなという理由は、なぜだろうか。
ペースメーカーを入れている人がいるといけないからか。
それとも、周りにとってうるさいからか。
あれはモラルか。それとも中学校の頃のズボンの太さだとか、
スカートや靴下の長さなどのように、“決まり”なのか。
『きまりをよく知り、そしてたまに破りなさい』という文を以前どこかで読んだ。
1月も終りです。 引っ越しも少しずつ進み、2週間後には布団も届きます。
気持ち的には問題無いのですが、状況はちょっと厳しくなりました。
健康は大切だという事です。
おいで頂けるという返事も多くの方に頂きつつあり、
お祭り好きとしてはとても楽しみにしていたのですが、
お祭りよりも大事なことはもちろんあります。
返事を下さった皆様には大変申し訳ないことになったと思っています。
大勢の方に一度にお会いする機会を再アレンジするのは
ちょっと厳しいかもしれませんが、
せめて個別にご挨拶できればと思っています。
親ともめている。 子供の頃から納得しきれない事は多かったが、 親だから うまくやっていきたいと思っていたし、思っている。 今回は、納得いかないとかそういうのではなく、 どうするのが自分にとってベストなのかが非常に難しい。 ふー。困ったもんだ。
八方美人かもな・・・。 全ての人にいい顔を見せようとしすぎと言うか・・・。 まあ、性格だから。人には多かれ少なかれそういう性質ある気もするし。
【おまけ】
モータドライバのテストだけは終った。 選定は明日以降。ふー。
今日はもう、いても惰性だから帰ります。金曜だしね。 週末のどちらかは来て、モータドライバのテストとモータ選定をすること。 月曜日には、次に進められる状態にすること。 半日くらいかな。
久しぶりに書いたと思ったら、こういうこと書いてるよ。 これじゃあ、読者が離れてしまうぞ。 まあ、日記だからね。記録だよ、記録。
余談だけど、僕は小学校高学年から高校・大学くらいまで、
日記帳(にしようと決めた普通のノート)を持っていた。
でも、書くのは平均して年に2度くらい。
それも、思い立って3日連続くらいで書いたのも含めて平均。
で、そこには、いつ読んでも(書いた直後でも)ばかだなと
思うような人間が写し出されていた。
その頃に比べれば、だいぶましな日記になってきたような気もしないでもな
いでもない。
困ったもんだ。
ちょっとけなしすぎたかな。(去年の自分を)
「恋は女の一生の歴史であり、男の一生の中ではエピソードに過ぎない」
(スタール夫人)
か。
前にも書いたけど、人間つらい時ほど心に響く言葉が出てくるものだな。 つらい時ほど、思考量が多い気がする。 英語で「悩む」は、consider と言うらしい。
【おまけ】
スタール夫人の言葉は、前後の段落とは何の関係もない。
本当に無い。
昨日の夜、たまたま友人からの古いメイルに、
そんな文があって、載せたくなっただけ。
新年になって、
去年の最初に書いた文を読み返してみた。
昨年よりは遊び回ってないな、
とかそういうのじゃなくて。
。
なんというか、その時の自分を恥じるというか、
情けないというか、ため息が出るね。
中田が
後悔は、
『それ以外の道があることを学べたと言うことだ』とか
『成長の余地があるという事だ』とか、
そういう捉え方をしたい。
とか、
そんなことを言っていたが、
まあ、いずれにせよ、もっともっと成長したいものだ。
僕は、昔から、成長が遅いと自分では感じていて、
映画やドラマを観て、心の機微とかそういったものに思いをめぐらす能力が
少なくとも中学三年の時は非常に劣っていたと思う。
大学生になって、だいたい周りと差が無くなり、
『自分』を自然に表現できるようになったと思う。
今も、数日経ってから見れば、 『馬鹿だったなあ』と思うような行動・言動がしばしばあり、 まだまだだが、昔よりはマシになっている。
いずれにせよ、今年は、博士課程三年だ。 根性だ。
ここ数日研究室のメイルサーバ・Webサーバが unreachable だ。
おそらく明日で仕事おさめになる。
今年一年を振り返りたいところだが、
時間が無いので簡単に。
毎年思うことのような気もするが、
とにかくいろんな事があった一年だった。
今こうなっているとは、
一年前は想像もしていなかった。
可能性としても考えていなかった。
一生一緒に生きてゆけると確信できた
というのが、一番大きいと思う。
来年もいろいろな意味で大変な年になりそうだけど、
人生の岐路だと思う。
大胆かつ繊細に進んでゆきたい。
Good luck to me.
Beleave I can do my best.
今日昼前頃、上野の上空をヘリが3機と小型プロペラ機が1機、 旋回していた。 少なくとも20分くらいはいた。 何か事件か? と思ったが、ニュースではそれらしい話は無いようだが・・・。
うちの研究室は、例年、年末年始キャンパスがロックアウトされても、
サーバマシンだけは生かしておき、プロバイダ経由などでメイル読み書きや
Webのアクセスはできる。
たとえ、電源の不具合その他でマシンが落ちても、
人が来るまでは復旧作業は行われないという条件で。
しかし、今年は、無人期間は電源を落すらしい。
一般のプロバイダはどうなのだろう。
と思って、僕の使っているプロバイダのホームページを見たが、
特に何も書いていない。
ので、年末年始は、メイルはプロバイダの方にも送って下さると、
万が一メイルが失われる可能性が、多少減ると思います。
【おまけ】
あ、 プロバイダのメイルアドレスは、人にあまり言ってない気も・・・。 ここに書くのもなんなので、 年末年始にメイルを送ってくださりそうな方は、 メイルを下さればお教えします。
ひー。金がない。
なんでこんなにたくさん飲み会があるんだ!!
しかも、来月から特別研究員の奨励金がでるため奨学金が入らず、
しかし、その奨励金は1月分は2月にまとめて出るらしい。
年越しすら危ういのに、1月はどうやって生活するのだろう・・・。
最近、EDAツールというヤツを使って、
超小型モータドライバの基板のパターンを書いてた。
今日だいたい完成して、明日、業者に渡す事になった。
感じたのは、
人間のオプティマイズ能力には、コンピュータはカナワン!!
ということだ。
僕が作ったパターンより密度の高い基板パターンを、
コンピュータが出すようになったら、すごいことだ。
どの世界でもあると思うが、
いろいろ機械がやってくれるようになっても、
人間が最も良い解を出す(作る)いわゆる“職人芸”というやつは、
当分は無くならないだろうな。
キーエンスの先輩が言うには、職人な先輩は、
0.5ミリピッチのチップに
さくさく手ハンダでジャンパをとばすらしいからな。
おっと、これはいい例ではないか。機械はもっと精密だ。
機械は、精度では人間を追い越しているし、
厳密に方法の記述できる分野や、量がものを言う分野でも強い。
ディープブルーは十一手先まで読むらしいし、
マイクロプロセッサは0.13ミクロンの精度で作られる。
今日の話のいい例は、
プログラムや論理回路のコードの最適化・バグ取りとかか。
でも、今いい例を探して、案外少ないことに気がついた。
コンピュータもそこそこできるようになってるのか・・・。
電車のダイヤもコンピュータだよな、きっと。
そう言えば、この前の『bit』に電車の効率運転の話が載ってた。
電車の電気ブレーキは発電するが、
ちょうどある電車がブレーキをかける時に、
そばで別の電車が加速するようにダイヤを組んで、
ブレーキをかけた電車の発電したエネルギを別の電車に回せるようにしたら、
効率がさらにあがる
という話。
こういう条件でダイヤを組むのも、
人間ではきついがコンピュータはやればできそうだな。
optimize の度合いはコンピュータはたいしたことなさそうだが、
人間は量に弱いから、量が大きい場合最良の最適化ではなくても
コンピュータの方がより良い結果を得られる。
逆に、量が人間に扱える程度なら、人間の方がより最適な結果を出せる。
ということかな。
コンパイラに最適化オプションをつけて吐かれたアセンブルコードより、
人間が最適化したアセンブルコードの方が最適化されうる。
最後に。最適化って漢字を読むと most なんだね。 more optimized ってのはあり得ないのかな。
【おまけ】
多くの読者(って少ないけど)には???な日記になった気もするし、 思いつくままに書いたので内容はあまり吟味されていない。 まあ、日記だから。 言い訳いいわけ。
TOEICのScoreが来た。 初めてで、準備もろくにせず、留学経験も無いにしては、 かなりいい点だったのではないかと思う。 ここから上げるのが大変そうだけど、 とりあえず自信にはなりそうだ。
問題は、最近、NHKの英会話を聞く頻度が低くなってしまった事だ。 定期購読で350円のテキストが毎月届くのに、もったいない。 継続はちからなり。
書きたいことがいくつかあった気がするのだが、 時間が無くて書けないうちに忘れてしまった。 覚えているもののうちの一つを書く。
読字障害というのがある。
思考能力や記憶力には問題が無くても、文字の読み(書き)が全然できない
というものである。
アインシュタインは、記憶力はあまり良くなく、
記憶力ではなく思考力を使う教育をする学校に行ったらしい。
そういう多様性を受け入れる環境は、
日本ではどのくらいあるのだろうか。
読字障害は、
知能に問題はない人でも知的障害と見られる可能性が高いそうだ。
脳の神経回路は経験によって作られてゆく。
外から見て同じ能力でも実現する回路・手法・理論は人によって違う場合も
多いのではないだろうか。
例えば、箸を使う時の脳からの指令は人によって違いそうだ。
読字障害は、文字を見た時に音節に分解できないらしい。
ここからは、僕の考えだが、読字障害というのは、
たまたま言葉を覚える時に、言葉を音節の集合としてではなく、
単語を一つのイメージ(音の)として覚えたのではないだろうか。
で、その後、文字を見るようになった時に、言葉を音節に分解できないから、
文字も単語をイメージとして捉えるようになるのではないだろうか。
そうすると、ひとつひとつの単語毎にイメージを記憶しなければならず、
また初めて見た単語は、そこから発音が想像できず、
したがって意味もわからない。
というメカニズムなのではないだろうか。
人は、同じ作業をするのに対して、
自分が習得したのと別な手法を使うのはかなり難しい。と思う。
ランダムドットステレオグラムで、
立体像が見える人と見えない人がいる。
立体視をするのには、いろいろな要素があるが、
ランダムドットステレオグラムでは視差情報だけを使う。
普段、主に視差情報を使ってステレオ視をしている人は
容易に立体像が見えるが、
普段、主に視差情報以外の情報で立体視をしている人は
なかなかランダムドットで立体像が見えない。
ということなのではないかな。
で、後者の人が視差を使えばいいと言われたからって、
それができるわけではないのと同じように、
読字障害の人が、言葉を音節に分けて聞くようにすれば、
文字も同じように読めると言われたからと言って、
それが容易にできるわけではない。
と言うことなのではないかな と思う。
最後に、例をいくつか。
指の鳴らし方。
ボタンのとめ方。
顔の洗い方。
人の顔と名前の一致させ方。
ハンダ付けの仕方。
・・・・・
先日の祝前日は、うちの女性陣が4人とも不在で、
めずらしく親父と男二人で夜を過ごした。
月曜の夜に、上野で音楽会を鑑賞した後、
一緒にいた妹二人は片方の妹のアパートへ向かい、
家まで親父と二人で電車で帰った。
地元の駅で一杯飲んで行こうという話になったが、
行ってみたらその日は休みで、
結局家でその辺のものをつまみにして二人で飲んだ。
思いのほか話が弾み、夜一時頃まで飲んでいただろうか。
空いたビールもかなりの量になった。
話題も、世界情勢・人生・哲学的な話・彼の若い頃の話
などなど 多岐に渡った(と思う)。
ここ数年、親父がだいぶ身近に感じられるようになったのは、
親父がやわらかくなったということだろうか。
それとも僕がオヤジになったからだろうか。
僕はあと数ヵ月で親元を離れるつもりだが、
案外、歳を取ってからの方が、実家を出てからの方が、
親父とは話すようになるのかもしれないな。
とか思った。
先週はかなり頑張った週だった。久しぶりに学校に2泊したし。
そのせいもあってか、土曜の夜やってしまった。
表参道で飲んで、終電(津田沼行き)の一つ前の千葉行き終電に乗ったが、
寝過ごして新検見川まで行ってしまった。
タクシー代がちょっと足りないくらいの額しか財布に無かった。
JR三駅分で多分10キロくらいじゃないかと思って、
歩いたが、家にたどり着いた今、時計は午前4時ちょっと前である。
ひー。
足が棒。
多分一番近いだろうと思い、線路をずっと歩いた。
JRの線路は歩けないので、並行して走る京成の線路だ。
高校の頃は毎年九十九里浜を20キロ歩く強歩大会があったし、 最近の上野公園のジョギングも毎回10キロ前後走ってるので、 行けると思ったが、きつかった。 大学の頃は、寝過ごしても千葉に住む友人に電話して 車で送ってもらったりした事もあったが、 今ではそういう事もできず。
おやじ狩りにあったら、 「お前らなあ、金があったらこんなとこ歩いてないでタクシーに乗るよ。」 と言うぞ とか、思いながら歩いた。
2年ほど前、水天宮前で電車がなくなった事があったが、
あの時も、歩いた。冬だった。
家まで着くかなと思ったが、市川で始発に乗った。
学生の頃は、品川で電車が無くなって、
早稲田に下宿してた友人の所まで行った事もあった。
いろいろやるなあ、俺。
今日の結論:電車は偉大だ。
ほんとか?「酒には飲まれるな」じゃないのか?
Microsoft関連の裁判で、 InternetExplorerのWindowsへの組み込みが違法と判断されたらしい。 確かに、Netscape駆逐の意図はあった気がするが、 Webブラウズ機能をOSに組み込むのを一概に非難ばかりも出来ない気もする。
「えー!?」と言う前に、ちょっと聞いてほしい。
そもそも、MS-DOSは、
Micro Soft - Disk Operating System だったわけだが、
ファイルのブラウズが基本機能として組み込まれていた。
OSとしての純粋な機能を、メモリ管理や
プロセス管理(DOSはシングルタスクだが)だとすると、
ファイルのブラウズは
本来アプリケーションの仕事だと言う事も出来るだろう。
では、初期のWindowsについていたファイルマネージャ
(後のエクスプローラ(インターネットエクスプローラにあらず))
も独占か?
FDやエコロジーを駆逐するためにOSに組み込まれたのか?
(ちょっとポイントがずれているが勘弁。
それ以前にわからない人ごめんごめんなさい。)
Webもファイルもネットワークコンピュータも エクスプローラで一括して扱えるのは楽だと僕は思う。 初めてエクスプローラでC-o http://www.... と打って Webページが出てきたときは「ほう!」と思った。 IEでWebページを見ていて、Wordなどのファイル( 例えば、 こんなの (MS Officeを持ってない人、IEじゃない人、ごめんなさい) )をクリックすると、 そのアプリケーションが立ち上がる事が便利だと感じるのは、 使っているソフトウェアが統合される事の有効性を 物語っていると思う。 UNIXのマシンでEmacs(Mule)で Mew を使ってメイルを読んでいた頃も、 URLをマウスでクリックすると自動的にNetscapeで表示するようにしていた。
Windowsが高いのが問題なら、Windowsと同じ機能を持ち 一月くらいは立ち上げたままでOKな頑健性を持つOSを開発して、 Windowsより安く売れば、儲かるぞ。 安定度がWinより上なら、値段も安くなくてもいいかも。 法的に問題が無いかどうかは、僕はわかりませんが、 誰か教えてください。
思考は言葉で行っていることが多い(気がする)。 ということは、 言語野を破壊されると言葉が話せない・理解できなくなるだけでなく、 思考能力もダメージを受けるのだろうか。
脳波は、
脳内の電気信号のやりとりがマクロにはどのような電気的変化を起こすか
を見ているのだと思う。
精神が集中して安定している時にα波だかなんだかの脳波が出るらしいが、
分類できるような定型的な脳波が定常的に出ているという事は、
脳内の活動がその波形に概ね同期しているという状態なのではないだろうか。
ということは、複雑な思考をせずに例えば数を数えるなどといった、
周期的・定常的な状態に思考状態を持っていけば、その周期に応じた脳波が
観測されるのではないだろうか。
「無心」や「雑念を排す」と言うのは、
このような状態なのではないだろうか。
まとめ:脳波は思考の単一化で安定する(?)
生まれて初めてTOEICを受けた。
自分の現在の英語力がどの程度なのだろうかと思って。
勉強を少しはしようかと思っていたのだが時間が無く、
前日の夕方になって「模擬テスト三回分CD付き」というのを買った。
一晩で三回やろうと思っていたのだが、第1回だけやってなえた。
模試の結果を実際のスコアに換算する表が、
第3回目の分しか付いてない事に(第1回が終わってから)気づき
愕然としたが、とりあえず第1回の結果をその表に当てはめてみた。
ずれてても100点以内程度だろう。
ここでは点数は書かないが、思っていたよりだいぶ点数が良かった。
本番では、模試より感触は悪かったが、スコアが来るのが楽しみだ。
何やら 平成11年11月11日11時11分大船発の横須賀線開業111周年記念号の 11号車(車両番号「クハ111-1111」)に乗ったら、 1が22個あったらしい。 『あっそう』って感じだけど、そこまでたくさん並べられるのは 屁理屈をこねてもなかなか無いんじゃないかな。
ここ一月くらいはだいたい週一回走ってる。
ついに体重にも変化が現われ始めた。
これまでの変動幅2キロの範囲を越えて、
その下限よりさらに1.5キロくらい少ない体重が中心値になっている。
と言っても、食事に気を使うようにした成果かも知れない。
一日四食食べないようにするとか、
食事の時に「もう食えない」っていうところまでは食べないとか、
深夜に帰宅して何か食べたいときは野菜を山ほど食べるとか。
ロボット(のボディの一部)作りに、
NC工作機械(フライス)を使っている。
機械は黙々と働くので放っておけばいいが、
数十分に一度は面倒を見てやらなければならない。
微妙な間隔だ。
その間にやっている他の仕事がいい感じに進み始めるのが、
だいたいその面倒をみてやらなければならない時間と同じ位な気がする。
しかし、シミュレータを回しているときもその傾向があるが、
機械やコンピュータが作業してくれている間の時間を
効率的に利用できていなくても、
なんだか結構仕事をしたような気がしてしまう。
今は、これを書く事に費していい時間なのか? > 俺。
今は、これを読む事に費していい時間なのか? > ・・・。
朝日新聞の夕刊に『経済気象台』というコラムがある。
昨日かなんかに読んだんだけど、
日本は技術輸出入において黒字になったらしい。
特許料などで外国から入ってくる金額が、払う金額を上回っているらしい。
詳しくは忘れたけど、(輸出÷輸入)はアメリカに次いで二位らしい。
ドイツは0.9でイギリスは1.2かくらいだったと思う。
で、国は、
科学技術への投資を増やしつづけていくべきであると書いてあった。
不況で、 投資にかけるお金は減らしたくなる(企業・国ともに)かもしれないが、 それはきっと間違いだと思う。 競争力の増加こそ求められているのだろう。 そんな事は当たり前で、 技術力への投資を減らしている企業は少ないのかもしれないが。 ゴードン氏も、研究部門は削らないらしいし。
さて、その中で、僕は今後どのような役割を演じていきたいのか?
自分の興味を最重視して生きていける方が満足できるか、
世の中の役に立つ(だろう)事をしていった方が満足できるか。
さて。11月です。
昨日これだけ書いて放ってあった。
最近、日記を書く気にあまりならない。
最近、高校の友人たちとサークルを始めた。
みんな忙しいので活動は月に一回程度だが、
いろいろ人間関係を広げる機会になるといいと思う。
eGroups
というのを教えてもらって、メイリングリストを作ってみた。
予定を書き込んだりもできるようだ。
便利なもんだ。
日本学術振興会の 特別研究員に採用が決まった。 とても嬉しい。しかも面接免除だ。 給料をもらえるようになる代わりに、 研究に対する責任は重くなる。 もっともっと頑張らなければ。
ところで、学士会館というのがある。 あれは、旧七帝大の卒業生じゃないと会員になれないという噂を聞いたが、 僕の場合どうなるのだろうか。 つまり、僕は学士は東大ではないが、修士は東大だ。 旧七帝大の学士を取っていなければならないとしたら、 資格を満たしていない。
【おまけ】
ここ数日このページはアクセスできなかったかも知れない。 Sorry for the inconvenience
往きの電車でなんとなく買ったSPA!を読んでいて、思った。
なんだかネガティブな記事ばかりだなあ。
世の中みんな苦しんでるから自分だけが苦しんでいるんじゃないぞ
と言われてるような気もした。
悪い事を想像すればいくらでも状況は悪くなりうるが、
そちらばかり見ていてはかなり弱気になってしまう。
挫折して何もかも失っても、なんとか生きていく事はできるだろう。
弱気になっていてはうまくいく事もうまくいかなくなる場合もある。
うまくいっているものを守ろうとするばかりよりも、むしろ、
それを危険にさらしてもチャレンジする方が、力強い生き方ができそうだ。
たとえ、失敗しても、思うようにいかなくても、不本意でも、
まあ人間なんとかやっていけると思えるような、
生命力というか精神的タフさを持っていたい。
【おまけ】
例の話はどうやって人に言えばいいのかな。 知る人ぞ知るでもいいのかな。
明日は個人的な一大ビッグイベントがある。(ん?「大」で「ビッグ」?)
緊張だぜ。
実は先週末もそれに関わってquite a big eventがあった。
そちらも緊張したが、すべき事はなんとか無事にできた。
僕と似たような道を歩んでいる人をあまり知らないので、 いろいろとスタイルをどうするかで悩んでしまうが、 僕の立場に相応な僕なりのやり方で、 他の人の理解も得られるようなやり方を模索中である。
トップのページのカウンターが いつのまにか7777を過ぎていた。誰だったんだろう・・・。
自分がどのくらいできるのか試したくて、TOEIC申し込んでみた。 勉強しよっと。
博士課程も単位は取らなければならない。 僕はあと6単位取らなければいけないのだけど、 今学期でそれを全部とってしまおうと思っていた。 が、授業が始まった週はそれどころではなく、すっかり忘れていた。 今週になって、二つほど出てみた。 うーむ。単位が取れればいいと思って、身にならなくてもいいから とるべきだろうか。いやいや、自分のためになる授業をとりたい。 授業料払ってるんだし。
世の中おかしくなっていて、変な人が多くなった。 この社会でやってられなくなって無差別に人を殺すとか。
平穏に生きている人(少なくとも
無差別に人を殺そうと思わない程度には)には、
『頭おかしい』
『社会に適応できないヤツが悪い』
と思えるかも知れない。
が、人間は環境の生き物である。
実際にその境遇になってみないとわからない心理状態というのは
たくさんある。
変なヤツは問題だし、罪は裁かれ償わなければならないが、 特殊な例外として片付けるのではなく、 そういうヤツが発生しないように社会を変えてゆかなければならない という気持ちを持つべきなのではないだろうか。 自分は変なヤツにならないから大丈夫と思っていても、 変なヤツに刺される可能性はなるべく低くしたい。 そのためには、背景(なぜ“変なヤツ”になったのか)や、 そいつの気持ち・心理状態を理解しようという姿勢が 必要なのではないだろうか。 世の中、自分さえよければいいと思っていても、 自分以外も健全な精神状態を保っていることも重要である。
秋分の日に今年三度目のテニスをした。 ちなみに、今年のテニス歴は、 一回目は正月に1時間半、二回目はゴールデンウィークに二時間。 今回は高校のテニス部の友人4人でダブルスをした。 予想以上に楽しかった。 腕はなまっているけれど、 皆テニスにはいちもく置いている人々と試合をするのは楽しいものだ。 しかも、その晩の体重は最近の平均より2.5キロほど減っていた。
思えば、高校の頃は、 比べ物にならないくらいの時間とハードさがあった。 自主朝練もやっていた。 その頃は、食事もものすごい量を食っていたが、全く太らなかった。 というより、ガリガリで、もっと肉をつけたくて仕方がなかった。
大学の時は準体育会系ではあったが、サークルテニスだったので、 高校ほど体力は使わなかったが、やはり食っても太らなかった。 餃子の食べ放題大会で歴代の記録を更新して優勝するほどの胃袋を 毎日満たしていたにも関わらず である。
人によるかも知れないが、 どうやら僕はテニスはかなりのエネルギーを消費するらしい。 これを月に数回でもやるというのは、僕にはとてもいい事だと思われる。
ああ、もっと高尚な話をしようと思って書き始めたのに、 結局ダイエットの話になってしまった。 しかし、昨日は、テニスの後、銭湯に行き夕食を食べ、その後、 近くに住んでいる高校テニス部の友人もやってきて、 ある有意義な計画について話もした。 最近、私生活は好調なようだ。
今日は久しぶりに、ですます調で書きます。
国会の事を書いた頃あたりから、日記の口調を変えましたが、
どちらがいいでしょうか。心の中を描くには、むしろですます調のほうが、
きつくなくて書き易い気がしないでもないです。
この日記はなんでもありというか、
しょうもないことでも、いいことでも、
何か書こうと思ったら書くというスタンスで書いています。
その中でも、やはり心の中の話を描けた時が一番、
なんというか、書いてて良かったと思えるのです。
それを読んでくださった人が、そこから心に何かが入っていったり、
元気になったり、勇気が持てたり、
たとえネガティブなほうでも、
何かを感じる事があれば、
それはとても素敵な事だと思います。
最近、偶然読んで下さった方から 「日記を読んで、すごく元気が出ました」 というメイルを頂き、 そう言えば最近はあまり心の中を描いてないなと思いました。
人生って波があるので、 僕は一時期に比べてだいぶ精神状態が良くなり、 悩みの辛さも軽くなった気がしますが、悩み自体が軽くなったというよりは、 自分の捉え方がポジティブになった気がします。 波が悪い時は、もがいても良くならず、でも もがかない訳にはいかず、つらいと思いますが、 そういう時にこそ心に響く言葉が出て来るものではないかな、とも思います。 (これは、以前、メッセージボードに書きましたが)
メイルを下さった方が読まれた日記も、
今より精神状態がつらかった頃の、僕の「前向きに生きよう」という
自分への励ましでもあるような文章を書いた日のものでした。
また、波が悪い時期は必ず訪れると思いますが、
そのたびに人は深みを増していくのではないかと思います。
『人生楽ありゃ苦もあるさ』でこそ、人生なのではないかな。
と思います。
今日の上野公園には みこし が
たくさんいた。はっぴ を着た人も
たくさんいた。
何のイベントだか心当たりのある人は教えてください。
段取りがむずかしい。
つい取っ掛かりがわかりやすい事から手をつけたくなる(つけてしまう)が、
それだと後々にいろいろホコロビが出てきそうだ。
最初に見通しを立てるところがとても重要だ。わかっちゃいる。
でも、行動しないと始まらないという面もある。
で、とりあえず、わかるところから行動を起こし、
「きゃー」って感じだ。
また、ついつい100%になるまでやってしまう悪い癖があるが、
ちなみに、上のパラグラフの二つの話はどちらも、 ある具体的な二つの事柄を頭に思い浮かべつつ書いたが、 一般論でもある。気がする。
学会が終った。 今まで発表した中で一番体力的に苦労した。 二つ発表したが、一件目は自分としてはまあまあだったが、 二つ目はお恥ずかしい限りという気分だった。 三日間の会期のうち、二日目を 最終日の朝の発表の準備に費やしてしまい参加できなかったので、 人間関係を広げる作業・情報収集等がちょっと不足で、 イカンかったなあといったところだ。 一方、少ない議論の中からも、有意義なサジェスチョンを得ることもでき、 得るものもあった。
やることはたくさんだが、
ちょっとどうすればいいか道が以前より見えてきた気がするので、
あとは行けるところまでじゃんじゃん進むという決意でございます。
で、とりあえず、ぱーっと遊びたい気持ちも大いにあるので、
遊んでください。 > 皆様.
【おまけ】
僕の VAIOの液晶が見えなくなってしまったのは、 3月頃だっただろうか・・・。 一月に修理に出した時に、 液晶が割れかかってることはわかっていたが、 液晶交換は保証が効かず9万円くらいかかると言われて、 面積の9割5分くらいは見えていたので、 修理はせずにいたのだった。
見えなくなってからはずっと使わずにいたが、
今度の木曜からの学会発表で使いたいと思い、修理に出した。
キーボードの交換も頼んで税込みで100170円だった。
キーボード交換も必要なら英語キーボードにして欲しいと言っていたが、
英語キーボードだと12万を越えると言われ、
ならいいやって日本語キーボードにした。
10万出して中古のマシンを買おうか迷って迷って、
修理にした。大事に使いたいものだ。
HDD2.1GBは、ちょっときつい。 一度Linuxも入れたが、Windowsと共有ではどちらもきつくて、 消してしまった。 CADもやろうという魂胆で、USBマウスも買ったので、 戻ってきたら活用しよう。
そろそろドクター取った後のことを決めないとな。 ついに長い学生生活も終りだ。ずっと学生でいれたらいいなとは思う。 でも、ドクターちゃんと取れるのかな。
ていうか、こんなこと書いてる暇があったら、学会発表の準備しろ。
やばくなってきた。 学会 来週の木曜と土曜に発表だ。 余裕がある気がしてたのに、全然無いじゃん。 土日でとりあえず発表できる形にだけは持っていこう。 あとは時間の許す限り質の向上だ。 なにやら国際会議とかあるけど、 イイカゲン出さないとアカン気がする。
PowerMac G4はなんだかすごそうだな。
500MHzのG4でPentium III 600MHzの2.94倍のパフォーマンスだって(
ここに書いてあった)。
何を測ったのか知らないけど、
その倍率はいくら自分の方が有利になるようなベンチマークを使っても、
絶対的な性能(って?)に差があるんだろうなと思わせる。
Appleもすっかり復活って感じだ。一時期買収されかかってなかったっけ。
面白いのは、MicrosoftがMacのCPU向けにWindowsを出すらしい。
Intel以外で動く初めてのWindowsなんじゃない?
「そうか。Microsoft ってCPUは作ってなかったんだったな」
って感じ。
四月から始めた週に1〜2回の8〜15キロのジョギングも、 夏になってから走ってない。最後に走ってからもう一月くらい経つ。 この時期もジョギングって続けるものなのでしょうかねえ。
その代わりと言ってはなんだが、
先日公共プールに行った。スイムキャップとゴーグルを買って。
ひたすら泳ぎ続けるだけだが、10分も泳げば体が熱くなる。
水の中でなければ汗だく状態なのかも。
自分のペースで2時間泳いで、最後は500メートルの持久走、じゃなくて
水泳の場合何て言うんだっけ。 をした。
体力は結構あるみたいだけど、それは体に蓄えた脂肪のおかげなのかも。
暑さがひくまでの間はしばらくは水泳にしようかなと思う今日このごろ。
大学内にあるスポーツ施設内には、一年中泳げるプールをはじめ、
ジム、卓球・バドミントン・バスケ等のできる体育館があり、
エアロビクスやロッククライミングもできる。
シャワーもある。
今まで卓球とバドミントンを数回したことがあるのみだが、
年間利用券を買って、定期的に泳ぎに行こうかな。
i-GATEというページができた。 DoCoMoの iモードで普通のページを見るのはほとんど無理だったが、 このページを通せば見られるようなる。 僕のホームページも http://www.i-greet.com/cgi-bin/i-gate/get.cgi?url=http://www.jsk.t.u-tokyo.ac.jp/~ikuo/index-j.html のようにこのページ経由のURLでブックマークに記憶すればよい。 僕は J-Phoneなので 関係ないのだが。 iモードしかWebを見る手段を持たない友達に教えてあげようかな。
【おまけ】ここを読んでいる人ってつまり iモード じゃないって事だから、 意味無いな、こんなこと書いても。 NTTPCの友達くらいかな、両方で見うるのは。 でも、ヤツも iモード 全然使ってないって言ってたな。
そう言えば、二週前くらいの日経エレクトロニクスに、Linuxの話の中で、 研究室OBの人が開発したART-Linux (Another Real-Time Linuxの略らしい) の話が出ていた。 写真(相変わらず腰まで届きそうな長い髪)と談話も掲載されていて、 なんだかおかしかった。
一年ほど前、 『OSのデバッグは大変だ。何も言わずに落ちるから。』 とかいう話をしたりもしていたが、 雑誌に載るくらいに安定して動くようになったのだろう。 さすがだなあ。 ユーザはどのくらいいるのかな? 僕も使ってみようかな。
東大生協のプリペイドカードと 銀行のキャッシュカードが統合されて一枚になったICカード (固有名詞はCUTEカード)を作って一万円入れてみた。 銀行の口座のお金で買い物ができるわけではないが、 ただのプリペイドカードだとまた財布が太ってしまうので、 ありがたい。小銭をやり取りする手間が省けるし。
ガソリンスタンドのカードがたくさんあって、
スタンドに行く度にさがすのが面倒だ。
あのカードは全社共通にできないだろうか。
というより、あれの存在意義って何?
あれで囲い込めるわけではないよなあ。
宇佐見が5,000円のプリペイドカードを作って
それでガソリンを入れるとリッター2円引きかなんかやってたけど、
一度だまされて買った。うそ。二度。
ていうか、二度目はそのICカードに追加で現金を入れた。
結構見るようで意外と宇佐美って少ないなって気付いてやめたが、
あれは囲い込めるからわかる。
余談だけど、宇佐美って出光とどう違うの?
キャッシュカード・クレジットカード・免許証・テレカ・ SFメトロカードなどなど、全部統合されて一枚になったら すごく便利だと思うけど、盗難・紛失等がこわいな。
『終戦の日』を『敗戦の日』と言うべきだと言う人がいる。
『終戦』では戦争の責任の所在が自分達に無いように感じるから
ということだろう。
しかし、『敗戦』と呼ぶと、
今度は勝ち負けにこだわりがあるように感じられる。
そもそも、国家間のいざこざを解決する手段として戦争を放棄するなら、
むしろ勝ち負けに関係なく、
戦争を終えることができた日・戦争が終わった日
ととらえる方がいいのではないだろうか。
自動詞『終わる』もあるが、他動詞『終える。終らせる』も、“終”である。
『終った日』と呼ぶのに抵抗があるのはわかるが、
『負けた日』と呼ぶのは、戦争放棄の気持ちが感じられない。
勝っていたら『勝戦の日』と呼ぶのだろうか。
勝てば戦争は可、負ければ否 なのだろうか。
戦争は両者が(多少強引であっても)正義の名のもとに武力をふるう。
戦争で辛い思いをするのは人々である。
コソボしかり。印パしかり。中東しかり。
過去の日本も同様。
それを避けようというのが日本の憲法第九条の思想である。
現実にそぐうかどうかは多いに議論の余地があるとして。
【おまけ】
今国会は暴挙だった。ひどいもんだ。
ガイドライン法、盗聴法、日の丸君が代法、国民ID管理法。
大日本帝国時代に戻ったみたいだ。
しかも選挙無しだ。
俺でも社会派っぽい事言いたくもなる。
次は何だ? 徴兵法か? 自衛隊法改正か? 治安維持法か? ・・・。
みんな、自分の生活に直接関わることだけしか考えないでいいのか?
それとも、これらの法律に賛成なのか? もしかして。
日の丸君が代法なんて、なぜ必要かの説明が誰もできないんだぜ。
校長が自殺したのは、法律が無かったからじゃない。
だいたいナショナリズムや民族主義が
いたるところで悲劇を起こしていることに気付いてないのか?
国家という枠組みを取り払えればいいと思わないか?
オリンピックやワールドカップで応援する程度でいいんだよ。
甲子園で地元を応援する程度でいいんだよ。
大学の教員というのは、研究者であると同時に教育者でもある。 大学や大学院における教育とはどの様なものであるべきなのだろうか。
被教育者のプライバシーや生活に関する個人的問題に対しても、
関与すべき(教育を行うべき)なのだろうか。
子供の頃からの家庭や学校において教育がなされているはずの事柄の中には、
それが個人的な問題であると言える事柄もある。
それを身につけていない被教育者に対して、
大学で行うべき教育のみを行うという立場の教員であれば
一切関与しないかも知れないが、
そうでなければ
小学生で指導されるべき事を指導しなければならないかも知れない。
そうか。小学校でも個人的問題に踏み込まないようにという意識は
教員が持っているものなのかも知れないな。少なくとも理想としては。
工学系の大学院で指導をする教員は、 専門とする工学分野のエキスパートであることはもちろんとして、 教育学も学ぶべきなのではないだろうか。 教育学ってどんな学問なのか良く知らないけれど。
工学系の大学院の存在意義は、
工学分野特に実際の産業分野において活躍できる人材の育成
なのだとしたら、指導者も
実際の産業分野において活躍している人や活躍した人
を登用するのが正しい気がする。
なおかつ、教育学を修め、学術研究のあるべき姿(って何だ?)を心得る。
大学ってどういう場所なのかしら・・・。
教育者ってすごい人(って?)であるべきなのかな・・・。
テニススクールでバイトしてた時は、
自分より上手い生徒もいたなあ・・・。
旅先で食あたりになった。生まれて初めて点滴を打った。 点滴の違和感が辛かった。花火を見そこない、海の幸をたくさん無駄にした。
来年以降にまた来ることにして、 今回は海だけを楽しんだということにした。 小出しにしたって事だね。
後輩に、
「水内さんを見てると、僕もまだ大丈夫だって励まされますよ」
って言われちった。
どういうことかね?
同じ後輩に、
「日記まじめですね。誰に読んでもらうことを想定して書いているんですか?」
って訊かれちった。
あんまり誰に読んでもらうとか考えてないんだが、
『○○関係の人が読んでも問題無いように書こう』とかは、
考えてる。
なんだか精神状態がヤバイ気がする。 常に根拠のない不安感が消えず、 車を運転していても何か起こしそうな気がする。
ストレスか。 これまでにはなかったもので、最近くわわった何かで、 そこまでヤバくなるような要因は思い当たらないのだが。
自分でヤバイと感じているうちはまだ大丈夫なのかも。
いずれにせよ、明日早朝から二泊三日で旅行なので、
それでリフレッシュできるといいが。
原因が自分でわからないのが、こわい。
今日は恵比寿ガーデンプレイスで納涼ビアパーティというのに参加します。
立食ですが、千円で飲み食べ放題、ゲームもあるそうです。
楽しみ楽しみ。
人も直前になってバタバタと都合がつき、6人くらいになりそう。
研究も今は腰をすえて進められるチャンス。頑張らないとね。
なんだか、夏休みな雰囲気。
この広い部屋に僕一人しかいません。
みんな合宿なのですが。
すごく集中できてはかどりそうなのに、 もう帰る時間。あんまり進まない。 人がいないってのは落ち着くなあ。
昨日AIBOが来た。
面白い。なかなか良くできてる。すぐ飽きそう。自分のが欲しい。
あれで研究する人うちの研究室にいるのかしら・・・。
学会の予稿、やっと終わりました。 印刷に回る直前のギリギリの日(今日)、さっき出してきました。
いやー。次回からは毎回必ず締切りに間に合わせようと心に誓いました。 いや、もう金輪際、 「これからできるはずのこと」をネタに発表を申し込むことはしないぞ!!! というのが正しい気がする。
【おまけ】
「心に誓う」ってどういうことだろう。
『〜に誓う』と言ったら、
それは『もし破ったら〜を失っても構わない』という意味なのかしら。
『神に誓う』
『〜にかけて、○○だ』というのは?
『もし○○じゃなかったら〜を失っても構わない』?
今日は、テクニカル。Lispという計算機言語について。
少し前に、四年生などが授業の課題で 「なぜLispを使っているか」、「Lispを使うと何が嬉しいか」などを、 Lispを使っている人に聞いてレポートにまとめるというのをやっていました。 僕のところに何団体か(個人も)インタビューに来たので、 「インタプリタだから、システム全体を動かしたままでデバッグができる」 とかそんな話をしました。
今日、それを身にしみて実感しました。
GA(遺伝的アルゴリズム)という手法とシミュレータを使って、 ロボットの動作の最適化をしているのですが、 一回の動作のシミュレーションに1〜2時間くらいかかります。 二十数台のワークステーションとPCにその解析を振り分けて、 解析させているのですが、その振り分けを管理するサーバプログラムを Lispで書いています。
インタラクティブにクライアント(解析をするマシン)を 追加したり削除したりできるようにしてあるのですが、 負荷の低いマシンを見つけたので、 25個目のクライアントをそれに割り当てるコマンドを サーバに発行したときに、 「それ以上子プロセスを生成できない」というエラーで サーバが止ってしまいました。
ひえー。それまでの大量の解析が無に帰してしまうかと、
一瞬青くなりました。
が、それまでに生成した子プロセスは、
サーバのオブジェクトのスロット変数(内部変数)になっていて、
サーバが止っても動き続けていました。
その時点でのサーバ(止っている)の内部状態を調査し、
その場で、新クライアント生成部のソースをいじって、
それ以上子プロセスを生成できない時は、生成せずに実行を続けるように
変更しました。
更に、解析実行のメソッド(サーバオブジェクトの内部関数)をいじって、
追加引数に状態変数を渡すことができるようにして、
リジューム(途中からの再スタート)の機能を追加し、
追加引数に適切な値を指定し、再実行しました。
そして、無事エラーの直前から実行を再開することができました。
今も、実行を続けています。
本来ならば、エラー処理はあらかじめ埋め込んでおき、 エラーが起こってもシステムは停止しないようにしておくべきところですが、 全ての状況に対応できるようにプログラムを書くのは困難で、 たいてい予想もしなかったエラーの一つや二つは発生するものです。 その時に、システムを再起動する(マシンの再起動ではなく)ことなく 修正ができるというのは、Lispのおかげだと身にしみたというわけです。
Lispでは、関数も全てシンボルで扱われているので、 ある状態の時に実行される関数も名前で書かれており、 その名前が指す関数の定義を インタラクティブに修正・変更することができます。 他の言語でもダイナミックロード・アンロードの機能を使えば可能ですが、 Lispの手軽さにはかないません。
参考までに、僕の使っているLispは、 EusLispという電総研の松井さんという 研究室のOBの方が開発したもので、 オブジェクト指向でスレッド・プロセスの利用インタフェースが整っている もので、 うちの研究室では、 かなり使われていて、ソフトウェア資源が豊富です。
さあ、いよいよ今週末が学会の予稿締切りです。 金・土・日とも、夜は飲んでしまいました。 金は研究室で夜半過ぎに、土は家族と、 日はいろいろ味のありそうな初対面の人達と、 です。
さ、頑張らないと。なのに、 今日は、会議のようなものが2つ計6時間以上。 自分のことがあんまりできんかった。
昨晩、妹(独り暮らしを始めて一ヶ月)から電話をもらいました。 僕の電話の電池が残っていなかったので、すぐ切れてしまいましたが、 妹のアパートのすぐそばで二人暮しをしている いとこのお姉さん二人の家に遊びに行っていたようでした。 なんだか楽しそうです。 僕も、そのうち遊びに行こうと思いました。
学校から少し歩いた距離の所に 手作りでおいしいハンバーガー屋さんが 二軒(二軒は全然別の方角ですが)あります。 存在は研究室の友達に教えてもらったのですが、 最近その両方に行きました。
どちらも、アメリカの店 といった雰囲気で、 マクドナルドのハンバーガーとはマッタク違います。 でかくてうまい。 とにかくだまされたと思って、一度は行くべき。
One's Burger (ワンズバーガー)
先日髪を切りました。 3月に切って以来だったので、かなりのびていました。 切ったらなんだか周りの評価が良くって、機嫌が良いです。
20歳くらいの頃は、
髪を切ると「かわいくなった」と言われるのがイヤで、
あまり短くしたがらなかったのですが、
今はむしろ、切った方が若く見えていいのかも。
と言っても、昔は、4ヶ月近く切らないなんて事はなく、
今回の切る直前ほど長くしたこともなかったのですが。
顔が小さくなったとも言われ、 最近 太った太った と色々なところで言われていたので、 その人達に今の状態でまた見せたい気分です。
来週の金曜日に秋の学会の予稿の締切りがあり、 二本発表することにしてしまったので、 早く書かなきゃ状態です。 しばらく、日記が増える可能性あり。
金曜日に長谷敦子 ピアノ・リサイタルに行きました。
長谷敦子さんは友人のいとこで、僕はその友人に誘われて行ってきました。
クラシックのコンサートは久しぶりだったのですが、
すごく良かったです。
アンコールを求める気持ちもすごく自然でした。
もっともっとずっと聴いていたかったです。
やっぱり僕はピアノは好きなようです。 自分でもたまに弾きますし。
【おまけ】この日記は久しぶりの思いだし日記です。後から書いてます。
今晩も4周15km弱を走り、 ポケットの千円札を自販機に入れようとしたら、 ちょっとしめってて入りにくかった。 一緒にいたジョギングメイトにやってもらったら、 からまったのか、入りも出もしなくなってしまった。 破けてもいいやと引っ張ったら、 半分くらい出たところで破けてしまった。
お金を節約しようと、 今日からエクセルで小遣い帳をつけ始めたところなのに・・・。
スペインのある大学の先生が見学にいらっしゃいました。
なまりのある英語でよくわからんかった所もありました。(言い訳)
修士の時の研究は英語でも発表したし、英語のお客さんもしばしば来たから、
少しは英語で説明し慣れていたけれど、
博士になってから自分の研究を英語で説明したのは初めてだった気もします。
あまりうまく言えんかった
という記憶が残ってしまいました。
英語のパネルとか作ってセリフも最小限は考えておこうっと。
【おまけ】土曜日の夕方飲みに行ったら、
若い大学生達(サークルの後輩,全部女性)の集団に偶然会った。
僕と仲の良い子が僕を見て、
『これ以上太ったら許さないからね』
と言った。
やべー。
走ってる効果ゼロ。
同期の友人と話した。
『俺らも、ちゃんと健康管理に気を配らなければいけない歳なんだよ』
って。
オヤジになりたくないけど、
僕はそのための努力はあまり(というか全然)してこなかった。
でも、もうそれではいけない年齢らしい。
ジレンマや葛藤があると、ストレスが生じます。
昨晩つらい夢をいろいろ見ました。
何が辛かったのか後で分析してみて、
こちらを取るとあちらが破綻し、あちらをとるとこちらが破綻する。
というような、相反(あるいは競合)する複数の事柄があり、
それらが自分にとって根本的に重要・不可欠だという状況が、
夢の中で展開され、苦しんでいたのだと思います。
辛い夢をみるとき、今の現実が最も悪い方向へ向かった場合が
再現されていることが多い気がします。
だから、リアルな辛さを感じます。
現実世界で受けているプレッシャーから来るのかな?
とも思います。
僕が不在の間回しておいたシミュレーションが、止まっていました。
原因は、誰かがコンソールからログオフして、
Administrator権限で入り直したことです。
事情があったのだろうと思いますが、それが僕に伝わらないことが残念です。
昨晩は何とかして帰りたかったのだが、 結局学会発表の講演申し込み(Webからする)の件で、 先生と話がまとまったのが終電のちょっと後だったので、 二連泊してしまった。
妹の友達が店を始めたのでそこに飲みに行くんだけど来ない? って誘いも結局行けず、昨晩はいろいろくやしかった。
今夕は大事な用があるので、さっさと帰ろうっと。
【おまけ】
最近のアメリカの少年の夢は、
20代でインターネット関連ビジネスでタッブリ稼いで、
30歳で引退することらしい。
いいかも。
でも、そしたら、そろそろ稼ぎ始めないと間に合わないなあ。
一生分をあと数年で稼がないとならんから・・・。
自然とは何か。
人間が手を加えると自然ではないのか。
人間は自然ではないのか。
農業は自然か。
漁業は?
バイオテクノロジーは別格なのか。
自然主義とは、実は懐古主義のことなのか。
これまで人間が手をつけていなかった事象に人間が手をつけると
自然ではないのか。
人間が手をつけた歴史が長いものは自然なのか。
生命現象も全て現象にすぎない。 生存本能すら、たまたま長く続く種類の現象という事なのではないだろうか。
書きかけで〜す。
と書いて放ってありましたが、書く気が失せたので、今日の日記はここまで。
昨日の夜走りながら考えた。 って昨晩帰り際に書いて、今朝来しなに書いてる俺。
一生懸命やっても何も得られないように見える事ってあると思うけど、
それでも一生懸命やると、達成感とか充実感とか、
そういったものが得られる。
それを得て何がいいかって、それを得た人にしかわからない。
理屈ではないから。
例えば、高校生とかですごくシラケていて、
何にも熱中しない人がいたとして、
世の中の大人が口うるさくいろいろ言っても、
結局熱中してみないことには熱中することの魅力はわからない。
でも、逆に、一度熱中するという状態を味わわせてしまえば
(“わわ”でいいんだよね。なんだか変)、
その魅力はダイレクト(なんのこっちゃ)。
走ることは、体のためでもあるけれど、 たとえそれで体になんの役に立たないとしても、 走るときの自分をいじめる感覚とか、 走っているうちに無心になる感覚とか、 走り終わったときの達成感とかが、 僕は好き。
とか、走りながら考えた。
【おまけ】
今日は千葉県民の日でした。 この日は、僕が高校を卒業した次の年から、 千葉県の公立学校は休日になりました。 僕は恩恵に預かってません。
今(23:30)ジョギングから戻ってきました。
上野公園を一周約3.2kmくらいのコースで、週に1〜2度ほど走っています。
大抵三周暑いときや時間が無い時は二周です。
三周すると研究室からの往復1.4kmも含めて、11km走ることになります。
今日はついに、初の四周をやってしまいました。
今日は初めて一人で走ったのですが、
途中のマクドナルドの時計で測ったところ
一周17〜18分で(僕としては)まあまあ速めのペースでした。
そしてなにより、3.2km×4周+1.4km=14.2km!!
生まれてから今までに走った連続走行距離の中で、最長の距離です。
この前、終電に間にあわなさそうで、駅まで徒歩20分の道のりを 走ったときも、体が以前より軽く感じて、 そろそろ三ヶ月目に入ろうという時期で、 成果があらわれ始めたのかもしれません。 まだ、体重計には成果はマッタクあらわれませんが。
学会は終わっても、すぐ次がある。 休めば休めるが、博士号が取れなくなるかも知れないし、 将来も不安だし(博士号が取れても不安だけど)、 なにより、学生の時が一番研究に没頭できるって言うし、 とにかく頑張らないと。
足を止めている暇は無いんだぞ。 今は、とっても貴重な時間。 親には感謝してる。 どうもありがとうございます。
【おまけ】
ポストペットを手に入れました。 むちゃくちゃかわいらしいです。 だれか、ポストペットを持っている方、ポスペ友達になってください。
二つ年下の妹が一人暮らしを始めました。 週末引っ越しに付き合わされたのですが、 桜新町の駅から徒歩3分くらいで、なかなかいい場所・いい部屋でした。
両親は、どちらかと言えば、 「子供は子供で好きなようにしなさい」という感じで、 妹の一人暮しに関しても「いいんじゃない」という雰囲気だったのですが、 実際に引っ越す時になるとやはりかなり寂しそうでした。 その気持ちは、きっと、自分の子供が家を出るときにならないと、 実感はできないんだろうなと思いました。 僕の両親ですらどういう気持ちかわかってなかったのですから。
僕も、実際的な理由や自分の経験のために、 一人暮らしをしたいと思ってはいるのですが、 なにぶん稼ぎがないので、なかなか難しい。 まあ、そう遠くないうちに家は出ると思いますが。
日本初のホームページっていつ頃のことだか知ってますか?
日本で最初のWebページを再現?し公開する企画というのがあるようで、 僕の入っている 情報処理関連の某メイリングリスト に流れていました。以下、(無許可)引用です。曰く、
だそうです。
その企画のURLは、
http://www.ibarakiken.gr.jp/www-ibaraki/
です。
(これもリンク許可無し。しかも、まだ自分も覗いてない)
1992年9月30日!!
まだ、7年経ってないんですよ。
それでこんなに爆発的に拡がるなんて、すごいすごい。
あと、7年経ったらどういう環境になっていることやら・・・。
いやいや、楽しみです。
昨日は、二件目に行ったお店に、ラモス瑠偉がいました。 四年ぶりくらいに行った店で、周りの店はほとんど別な店になってましたが、 その店は相変わらずでした。OH!GOD。
AIBOは、20分で完売ですか。
250000円 × 3000台 = 750,000,000 円 か。
ん? 一十百千・・・ 七億五千万か!
富士通研の『TEO もう一つの地球』は、 いくらくらいの売り上げになったんだろう。 まだ売ってるなら、買ってみようかな と思うのだけど、どうなんだろう。
今日はまるで独り言日記でした。
今度は盗聴法ですか。通信の秘密というのは憲法ですか? 僕は法学部ではないので、よく知りません。 最近は使われなくなった言葉ですが、 civilian control は非常に重要だと思います。 常にそれを確保できる保証はしておきたいものです。 今の国会が法を悪用されることを想定していないとまでは思いませんが、 世の中徐々に徐々に変化していくもので、気付かないうちに・・・ という事態は決して無いようにしたいものです。
ついに明日は誕生日です。去年の誕生日は、初めての国際学会の初日で、 プリンスホテルでウェルカムパーティでした。 当日は何人かから電話やメイルをもらったけど、 次の日の自分の英語の発表の準備で、 残念ながらゆっくり話せませんでした。
去年の3月頃から始めたNHKの英会話も、毎日は聞いてませんが、 週に数回は聞いて、英語感覚を衰えさせないようにはしているつもりです。 それでも、一人でアメリカに行った時ほどは 話せなくなっているような気がします。
ガイドライン法が通りました。
この法律の目的の是非はおいておいて、憲法九条です。
武力を国際的な紛争を解決する手段として用いることを放棄する
と、憲法で定められていますが、
この法律は、その方針に法ってはいません。
もしこの国の憲法の思想に忠実に従えば、
言葉(外交)による防衛しかできません。
武力により解決しようとしている国(例えばアメリカ)の
解決活動を支援するという事は、
少なくとも思想的には
解決手段として武力を用いることを選んでいるわけです。
憲法は絶対じゃなくてよいのでしょうか。 武力放棄という理想が現実的であるかどうかの議論を徹底的にして、 今回の法律のような方針転換を行うのであれば、 憲法を改正しようという試みをすべきだと思います。
武力を国際的な紛争を解決する手段として用いることを放棄する ということが、可能なのか、現実にフィットしているのか、 を考えると、難しいなあと思ってしまいます。 理想として掲げておくが、現実的な行動ができるように、 ということで、敢えて憲法の思想にはそぐわない法律を作るのでしょうか。 憲法改正は現実に即した解決方法ではない、という判断なのでしょうか。
結局、僕は、いろいろ考えても、結論らしきものはあまり出てきません。
書きかけでした。土曜日の話を書こうとしていましたが、 日が経ってしまったので、めんどくさくなってしまいましたので、 簡単に。
土曜日はジュビロ磐田スタジアムに行って、 ガンバ大阪戦を観戦してきました。 名波のフリーキックにみとれて妹とその話をしてるスキに、 前田のシュートの瞬間を見逃してしまいました。
昨日、ソニーの
ペットロボット“AIBO”が動くところを
見せてもらいました。
日本ロボット学会の
アミューズメントロボットシンポジウムで、
実物を会場の床で動かしてくれたのです。
話を聞いていると、
うちの研究室と同じような思想で
同じようなものを作っていて、だれがやっても同じようなものを作るときは
同じようなこと考えるんだなあと思いました。
しかし、見た目の完成度はやはりきれいで、
動きもよく作り込んでありました。
日本3,000台、アメリカ2,000台の限定発売で、 Webページでの販売のみで、価格は250,000円です。 昨年の発表の時は、 「今世紀中に子供のお年玉くらいの値段で買えるようにする」 と言っていたのですが、あと一年半でいくらまで下がるでしょうか。 10万円くらいまでは行くような気がします。 ちなみに、うちの研究室のロボットも、そんな値段では作れません。
僕の意見というか予想として、
僕が好きそうなロボットは、
実際に役に立つと言えるほどになるにはまだまだハードルが高く大きく、
とてもじゃないがまだまだ商売にはならないだろうと思うのですが、
まずは、あまり役に立たなくても、信頼性が低くても、壊れやすくても、
売って許されるのはエンターテインメント用途だと思う
というのがあります。
博士号を取れたとして、その後どうするかはまだわかりませんが、
民間に行くなら、そういうところがいいかなあ、などと考えたりします。
僕は、いつか人間と同じ機能を持つ知能を作れたらいいな
と思うのですが、それには実用を意識していると難しく、
でも、エンターテインメントでお金に無頓着なところなら、
それができるような気がします。
そんなの甘すぎではあるかも知れませんが。
ちなみに、昨日のシンポジウムでは、僕は、
「計算機の中の人工生命」と題した富士通研の村上さんの発表が、
一番面白かったです。
さあ、あと一日だ。頑張れ! > 俺。
先週から、何泊していることやら。今晩が最後でしょう。
ペルージャ奇跡的にアウェイで 今期(ってもうあと1試合)初勝利したのに、 ひとつ下のサレルニターナが勝ってしまったため、 次の首位ACミランをホームに迎える試合も負けられない状況です。 サレルニターナはピアチェンツァとだったかな? 勝ちそう。 ペルージャ、まさに正念場。
昨晩は結局泊まりになってしまったので、WOWOWは見れなかった (←これって“ら”抜き言葉?)。 フジテレビで再放送をやる時間を調べてビデオに撮っておいてもらおうっと。
【おまけ】
今日は全然進みませんでした。 せっかく日曜に来たのに。
中田の ペルージャ がセリエB落ちのピンチです。 今日負けたら、最終戦は昨日勝って1ポイント差の首位に立ったACミラン なので、勝つのは厳しそうで、 ペルージャより下位のチームが全て今週・来週で勝ち星ゼロでないと、 ペルージャのセリエA残留は厳しいのではないでしょうか。
明日は、夜、大阪に住む先輩が結婚したお祝いがあるらしいのですが、 その前には一度家に帰りたいです。 帰れるかな。
【おまけ】
さあ、研究頑張らないと。
昨日(火曜日)、夜一時間ほど上野公園の周りをジョギングしました。 昨日は、途中600メートルくらいハイペースも入れてみました。 先週よりは、筋肉痛になりませんでした。
これまでも、体力復活計画を何度かやってますが、
どれも長続きしていません。
でも、今回は、強力な仲間がいるので、結構いけるかなと思ってます。
彼は、趣味で走ってる人(正しい?)で、多分、
今後も誘ってくれると思いますので。
時刻表リンク というページからたどって、 首都圏電車時刻表という 全国の全ての駅の発車時間を調べられるページなどは見つけたのですが、 時刻表のようになっているページが見たいのです。 しかも、臨時列車情報等もちゃんとフォロウしているところ。 そういうのは、有料であるべきかな?
スポーツなどもそうですが、一つのことをずっとやっていると、
始めたころの進みの速さがだんだんと失われていきます。
それでも日々頑張れば、
ホンのちょっとずつは上に上がって行けるはずです。
別の事を始めると、またそれは最初のスピード感があって、
そちらの方に魅力を感じることもあるでしょうが、
一つのことを頑張れない人は、別のことを始めても、
やっぱり、スピード感が失われた頃に、
更に別なことを探したくなるかも知れません。
それがいいか悪いかではなく、
結局、人が登れないくらい高いところに行くには、
それだけ一つのことにたくさんの時間をつぎ込む
というのは、最低限必要な条件なのかなあと、
そんなことを考えました。
次々と新しいことに挑戦していく というのは、 天職を見つける方法のひとつかもしれませんが、 つぎ込む時間が足りなくて『違う』と思ってしまう事があるかもしれないし、 そもそも天職とはずっとそればかりしてるうちに 天職になるのかも知れないし。
【おまけ】
昔からの旅館で、温泉も良く、 料理もあとからあとから部屋に持ってきてくれて、 すごく満足でした。 洋風だと、施設の中をあまりうろうろできないですが、 和風だと、ゆかたにスリッパで、そこら辺をうろうろできて、 古い温泉街だったので、ゲタをはいて外を散歩までしてしまいました。
美ヶ原高原に行こうと思っていたのですが、
そちらへ行く道は冬季通行止めで行けずでした。
二日目は雨だったので、行くこと自体どうしようかと言っていたので、
そんなに残念ではありませんでした。
一方、着いた日はまだいい天気で、松本城の桜がちょうどピークで、
きれいでした。
今年は、個人的な花見は出来なかったなあと思っていたので、
lucky でした。
【おまけ】
最近、ちょっと、精神的に落ち着いていません。 しっかりしなきゃ。
僕は、修士課程から今の研究室に来たのですが、
ここに来た動機の一つに、
卒論で所属していた研究室は研究が基本的にグループ単位だったのが、
ここではグループはあるけど“自分の研究”というのを意識して研究する
という点に魅力を感じたというのがありました。
最近、自分も今の研究室でグループリーダのような立場になって、
グループ内の他の人の研究に関わって、
自分の研究という意識が薄れがちだったり、
グループ内の人の研究を自分の成果に含めて研究した気になってしまったり
しがちな気がします。
確かに、グループ内の人の研究に携わってはいるのですが、
『自分のオリジナリティはここにある』
という意識を失わないようにしないと、
と自分に言い聞かせる今日このごろです。
研究者の道は険しいか。
「一生変わらず愛し続ける」と言えますか?
今、そう思ってるだけで、
その気持ちが一生変わらない保証はあるのでしょうか。
人の気持ちは(可能性の上では)どうなるかはわからない。
少なくとも、
その気持ちは一生消えないって思える(今思える)から、
一生っていう言葉を使うことができるんだと思います。
「今思える」と言ったけど、今後は? って考えると、
『『『一生愛し続ける』という気持ちが、
ずっと変わらないだろうという予想』をずっと持ち続けられるだろう』
という気持ちがずっと・・・
という、永遠に続く思考回路にはまるかも知れません。
そうすると、今この状態で言葉にしていいのか?
と疑問に感じることもあるかも知れません。
僕は、そういう状態の時、
言葉として外に出すことが出来ないかも知れません。
かも知れませんばかりですね。
がんばらなきゃ。
【おまけ】